益子「もえぎ」での高橋牧子展の報告 エピソード編A

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2009年1月24日(土)~2月8日(日)まで、益子の「もえぎ本店」にて、キルト作家 高橋牧子の個展が開催されました。

その展示の様子をお知らせ致します。

今回の小物の中で特に一番人気だったのはブックカバーです。初チャレンジでしたが、栞の先を丸くするなどの工夫をし、楽しんで作りました。会場には、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟5/亀山郁夫 訳の文庫本にカバーをつけてディスプレイしました。カラマーゾフは、亀山郁夫さんの新訳で大変話題になりましたが、わたしも昨年に一気に読みました。至高の名作、真に傑作です。
わたしの可愛らしいブックカバーに包まれたカラマーゾフの兄弟、、、、、。我ながらちょっと笑えるというか、微笑ましかったです。

嬉しい話を聞きました。姉の長女のKちゃんが、このブックカバーをとっても気に入ってくれているようです!

今回の展示では、家から、わたしが影響を受けたアーミッシュキルトや韓国のポシャギの本、わたしのキルトの先生となった「Complete Guide to QUILTING」や、最近興味のあるシェーカー教徒の本、大好な画家のパウル・クレーの画集、ニューヨークで生活していた頃に一番好きだった作家、William Kentredgeの画集等をお越しいただいた方にご覧いただけるよう持ち込みました。

最近興味のある、シェーカー教徒について図書館で調べたら、藤門弘さん著者の本、「シェーカーへの旅」を見つけました。
解説の「かたちといのち」より、気になった文章があるので紹介致します。

「かたちとは、何なのだろう。かたちをつくるとはどういうことなのだろう。そして、いのちのはたらきの中で、つくるとはどういう意味をになっているのだろう。
しかし、かたちなんかどうだっていいんだ、大切なのは心であり、いのちなんだと言いきる人もたくさんいる。
しかし、だからといって、かたちはどうだっていいということには決してならない。確かに大切なのはものではなくいのちであると言われればその通りに違いない。かたちではなく、心が大切だということも十分知っているつもりだ。
しかし、ものをいい加減に扱って教育は行われるであろうか。かたち無くして、人は信仰を正しく持ち続けることができるだろうか。
人は、かたちによって、なかみを見ることができる。かたち無くして、どうして人間という不完全な存在がいのち至ることができよう。むしろ、心に近づくために、神が人に与えてくれたものが、かたちというものの本質だと言っていいかも知れない。このように、かたちによっていのちを追い、いのちによってかたちを求める人は、ただかたちを見たり語ったり分析したりしていることでは満足できず、自らの手でそれをつくらずにはいられない。というよりは自らつくらずして、かたちの本質を見ることは難しいのだ。

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